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さあて・・・市Pとは?・・・その1

2008年09月13日 04:44
ずいぶん前に・・・多分去年かな?・・・最近痴呆が入ってきて・・・
昨日食べたご飯もよくおぼえて・・・ないような(~_~;)

先程、言葉がすべりだしたので・・・
エ~イ!と勢いで(^O^)/

ものいわぬは腹ふくるるわざなれば・・・だしちゃえ~(^O^)/

そんなに長く生きれるような歩き方はしていない・・・キメッ・・・古い?((^_^;)




では、そのままに
          ・・・どうせ前回問題提起はしているし・・・そのままでいっちゃえ~\(^o^)/

以下



ぼちぼち、触れないといけない課題に取り組む時期に来ているのかも知れません。
と言っても、ある意味常に意識していなければならない課題でもあります。

市Pって何?

1.何してるの?必要なの?
2・市Pの行事って単Pにとって結構きついよね~。
3.何?中P・県P・九P・日Pって?
4.何で、これだけお金を払わないといけないの?
5.etc.

考えて見ましょう。
必要でないなら、なくそうよ。

現在、市P連の世帯数は12,600/児童数が15,500名程です。

市の総予算に対する教育費の割合は約13%弱です。

市の要保護・準要保護世帯の割合は21%強です。
(沖縄県の平均が13%程度)

この世帯の子供たちがすべてPTAの会員です。


そもそも、PTAの出来方って何だったんでしょう。
生活に窮し教育なんて考えも出来ない子供たちに等しくその機会を・・・が始まりです。


私たちの市には、上に述べたこれだけの世帯数、子供たち、そして家族がいる訳です。
この子達に、出来るだけ良い環境をと思うのは、人という生き物として、当然求める事ではないのでしょうか。

その為には、私たち自身もあらゆる意味で成長してゆかねばなりません。

昔は、孫悟空がお釈迦様の掌の中で成長したように、
子供たちも、私たちや私たちの狭い地域の中で遊び成長していました。


現実はどうでしょう?


私たちが、どこかで子供たちに遊ばれてはいませんか?
本当に私たちの掌の中に子供たちがいますか?

考えて見ましょう。

皆で、漠然としていた不安感は、私たちが子供に甘えている間にとんでもない所まで伸びている。
その事にに気づきましょう。


私たちは、漫然とそれをながめるだけでいいのでしょうか。


何が、出来るのかを考え、目の前にある不安、そしてお互いの中にある甘え、羞恥心を払拭してゆくための手立てが市Pの中に、あるのであればそれが市Pの存在意義です。

時にそれは、向かう矛先が間違っているのかも知れない。
時に、勢を頼りに圧となりうるかも知れない。

でも、必要なことを必要だと言う機会と勇気・知故がお互いには必ずあるはずです。

壁を突き破ることはそう難しくはない!

その為の市Pでなければ、市Pの存在意義は無いのかも知れませんね。


でした、私自身が書いた文書ですが。

自分に突きつけられている問題でもありますね。

考えよう、文殊の知恵で・・・
                       (^.^)/~~~(^.^)/~~~(^.^)/~~~














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Posted by としちゃん│Comments(1)市P考
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この記事へのコメント
市P連について最近東部三役の方々とお話しする機会を持ちました。
中途半端に酔いながら話し合ったためか、何か結論にも提言にもならない中途半端なものに終わってしまったような気がします。
しかし、市Pを活用するという視点で考えると、市Pはまだ存在意義があるのかもという結論をいちおう私は持ちました。
問題なのは、市Pを活用するのでなく、毎年やってきたことを惰性でやってしまうのが問題なのかと。

また前々から思うことですが、市Pは単Pの邪魔にならないように、親に余計な負担(時間とお金を奪っている)をかけないように、活動すべきではないかと。
つまり予算減らして、活動も減らすべきではないかと思うのですが。特に家族との団欒時間(土日)に予定や動員が入るのはどうかと思うのです。役員は単Pの活動で充分時間を取られているので、常置委員会やその他動員があると役員のなり手がさらに減ると思います。出来る人しか出来ない少数持ち回りの単Pを作ってしまう原因の一つではないかとついつい思ってしまいます。
Posted by 佐藤 at 2008年10月01日 15:28
 
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